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気刊びびび

なんか気が向いたら書く。

 ちょ→寝てた!

 僕がギャルだった頃は、伸ばし棒の代わりに「→」を使うのがちょ→イケてたんだけど、最近のナウなヤングは使わないよね。言葉は時代とともに変遷する。特にテレビ番組が発祥の言い回しとかは、その番組の放送が終わった瞬間に死語への階段を真っ逆さまに落ちていくんだけど、同じ番組を観ていた層にとっては放送終了後もどこか現役であり続けることが多い。特にその番組の寿命が長ければ長いほど、あるいはインパクトが大きければ大きいほど、その言葉のオリジナルにはもうアクセスできないんだよという事実は見えにくくなる。「さすがですお兄様!」や「にゃんぱす~」は(原作を無視すれば)数ヶ月の命だったから忘れられるのも早いけど、年単位で放送されるバラエティ番組はそうもいかない。「いいとも~!」や「そ~ですね!」は去年の春に死んだし、「へぇ~」「トリビア」は9年前に死んでからちょくちょく生き返ったけど、3年前の正月を最後に生き返る気配がない。でもなんとなくまだ生きてる感じがしない? 「○○。では○○を4つお答えください。はい走って!」は4年前の春に死んだし、「ノーマネーでフィニッシュです」が死んだのは11年も前のことだ。

 テレビ番組の影響ってやっぱりすごくて、その番組を観ていた人たちにとってはその番組は共通の言語であり、それをもとに想像の共同体ができてしまう。番組が終わって言葉が死んでも、共同体の成員にはその言葉は余裕で通じてしまうからタチが悪い。そうしてある日、その番組を観ていた世代ではない人間にキョトンとされて、ジェネレーションギャップを感じてしまうんだ。テレビ番組ほどジェネレーションギャップをありありと見せつけるものってなかなかないと思う。前も書いた気がするけど、僕の家の近くにあるラーメン屋には「ガチンコラーメン道」という看板が出ている。かつて放送されていた「ガチンコ!」という番組で、不良少年などにラーメンの修行をさせるという企画があったんだ。その修行を経て店を出したということなんだけど、「ガチンコ!」を観ていない層、そんな番組があったことすら知らない層には何の意味もなさない看板だ。もの悲しさを覚える。

 軽い気持ちで「ちょ→寝てた!」って書いただけなのに、思わぬ方向に話が進んでしまった。なんだこれ、なんだこれ! 反省してる。明日は懐かしの90年代ドラマにおいて佐野史郎の果たした役割について話していきたいと思います。