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気刊びびび

なんか気が向いたら書く。

押井守回だった

日記

 家から職場までn分かかるんだけど、身支度終わらせてソファで二度寝してたら勤務開始時間までn+3分しかなくなってた。泣きながら家を出た。まるでアバンタイトルのような一日の始まりをしたわけだけど、オープニングが明けても激ヤバな事態は続く。月次決算の数字が合わない。びっくりするくらい合わない。7ケタくらいずれている。普段1ケタや2ケタずれてると「チクショウそのくらい僕が出してやるから勘弁してくれよ!」と思うんだけど、今回ばかりは「ア……7ケタ……頑張って原因を見つけよう……」ってなる。決算だけが僕の仕事ではないので、途中いろいろと書類を作ったり見積もりをでっち上げたりしてたら昼休みがきてAパートが終わった。

 僕の人生は基本的に監督が押井守なので、Bパートはひたすら脳内でよく分からないおじさんが独白を続けていた。この7ケタのズレは何が原因なのか、そもそも本当にずれているのか、日々の営みの中で日々現れる小さなほころびから目を背け、意図的に見ないようにし続けて、それが募りに募ったある日、絶望的な破局として突然目の前に現れる。そんな日がいずれ来ることを心のどこかで理解しながらも、それが今日でないこと、明日でないことを祈りながら偽りの平和の中で惰弱な生活を繰り返す。そして時おり本来目を向けるべき破局とはほど遠い小さなほころびのみをさも大問題のようにあげつらっては、それをたやすく解決することで非日常を再現してみせ、破局を矮小化することで自らの不安と罪悪感を慰める。そんな短絡的で欺瞞に満ちた偽りの平和を貪るうち、そもそも日常とは何なのか、何が平和で何が破局なのか、その境界すら希薄になっていく。自らの立脚する世界そのものすら実は存在が疑わしいものなのだと気づかされ、戦慄し、絶望にさいなまれる。この日々すら、この瞬間すら妄想の産物にすぎないのではという思いをぬぐい去ることもできない極限状態の中で、人々は己の肉体と精神のつながりすら疑いはじめる。自らが厖大な虚空の中にただ一つだけ存在する量子にすぎないと意識した時、絶望的なまでの真空に為す術もなく押しつぶされる悪夢から目を覚まし、変わらぬ日常を告げる時計の針に皮相的な安堵を浮かべる。その瞬間にもほころびは起こり続けているにもかかわらず、先ほどまで存在した悪夢は無意識下に抑圧され、ただぼんやりとした不安だけを抱えて、また偽りの日常に帰依していく。人間は誰しもそんな矮小で欺瞞に満ちた哀れな存在であり続ける独白が延々と流れ続けて定時を大幅にオーバーした。

 こう、もうちょっとさ、僕の人生、温泉回とか水着回とかラッキースケベ回とかそういうのもあっていいんじゃないの?